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日本の貸金業の歴史(平安時代から)

個人がお金を借りる方法として、現在では貸金業(消費者金融・キャッシング・カードローン)が定着していますが、その歴史の始まりは古くは平安時代から貸金業者が存在していました。

歴史

その後、近現代史からは今の質屋が登場し、その後は色々な名前の変遷を経て、最終的には「消費者金融」に落ち着いています。

今回、編集部では「貸金業界の歴史」をまとめました。
随分と歴史を遡りますが、一緒にお金の日本史を振り返っていきましょう!

昔の貸金業者について

少し日本史の歴史のお勉強になってしまいますが、昔の時代にいた金融業者について振り返ってみましょう!

平安時代

  • 無尽銭土倉(むじんせんどそう):当時お金持ちだった僧侶たちが無担保で高利貸しをしていた
  • 借上人:平安後期から南北朝時代にいた高利貸業者のこと、お金を貸す行為が借上(かしあげ)

鎌倉時代

  • 土倉(どそう・とくら・つちくら):質屋と同じく自分の物を質草として預ける

土倉の意味は、預かった物品を保管する為に土蔵を建てたことから由来しているそうです。つまり倉庫の意味ですね。

室町時代

  • 酒屋:土倉をビジネスとして複数展開していた大元の会社のこと(お酒を製造する会社は「造り酒屋」)
  • 日銭屋(ひぜにや):1日あたりの利息を取る日歩でお金を貸していた高利貸し

江戸時代

  • 小銭屋:旗本や御家人を相手とする金融業者(江戸では札差(ふださし)、大坂では掛屋と呼ばれた)
  • 両替商:主に諸侯や武士をお客にする商人
  • 座頭金、盲金(めくらがね):農民などの庶民が相手
  • カラス金、烏金(からすがね):1日1割などの暴利だった短期金融
  • 百一文(ひゃくいちもん):100文貸して1文の利息を取った日銭貸し

昔の土倉は質屋と同じく担保を取っていましたが、江戸時代になると無担保での高利貸しの貸金業者が増えている印象です。

1900年代前半:質屋

当時は「個人の信用調査」なんてできませんので、個人が持っていた「物を担保」として、現金を借りていたわけですね。

例えば、昔は着物(反物)、時計などが高価であったので、そういったものを質屋に差し出していたのです。

庶民はそれ以外にお金を借りる手立てがなかったことから、質屋は庶民の為の金融機関として「庶民金融」とも呼ばれていました。

質屋が起源

オー・ヘンリーの有名な短編小説である「賢者の贈り物」の中では、

  • 男性は懐中時計
  • 女性は自分の髪

をそれぞれ質屋に売って、お互いのクリスマスプレゼントを買いました。

オー・ヘンリーが生きいていた時代は1862年~1910年です。
また、日本に消費者金融が根付くのは第二次世界大戦の戦後からです。

そういった意味から、1900年代前半は質屋の時代だったと言うことができます。

1920年代:日本昼夜銀行

銀行カードローンの元祖は「日本昼夜銀行」であると言われています。
1929年に小口信用貸付(個人向けの小口融資)を始めたのが最初です。

日本昼夜銀行は、銀行にも関わらず昼と同じように夜間営業を行っており、当時からしてみても相当に画期的な銀行だったようです。

その後1943年4月、日本昼夜銀行は安田銀行に合併されて名前は消滅してしまいます。
安田銀行はその後も様々な変遷を経て、富士銀行となり、今のみずほ銀行へと形を変えています。

1950年代:高度経済成長が始まり個人にも資金ニーズ

1950年代は太平洋戦争の戦後復興期が終わり、日本が高度経済成長期に突入(1954年~)するにあたり、個人の消費も活発になっていった年代でした。

面白いことに、その時期とほぼ同時期に「お金を貸す業態」が新しく生まれているのです。

日掛け金融

この頃、個人向けよりも先に中小零細企業向けに「日掛け金融」が行われていました。
1日ごとに金利計算するので、日掛けと呼ばれていました。

50年代の主なイベント

  • 1951年:全国金融業連合会(全金連)が社団法人を設立
  • 1954年:利息制限法、出資法が公布

1960年代:現在の消費者金融の原型ができあがる!

1960年代は、50年代から続く高度経済成長期の継続の他に、

  • 池田勇人総理大臣の元に所得倍増計画
  • 1964年:東京オリンピックが開催によるオリンピック景気
  • いざなぎ景気

などがあり、引き続き日本が経済成長を続けた年代でした。

当然ながら私たち庶民の間にも資金需要が高まり、そのニーズを狙って、

  • 団地に住む主婦たち
  • サラリーマン向け

に対して、無担保・無保証(保証人1人が必要の場合も)で融資を行う業態が始まります。

それぞれ、

  • 団地金融
  • 勤め人信用貸し

などと呼ばれ、対物ではなく対人信用で貸し付ける、現在の消費者金融の原型を形作っていきました。

昔は質屋に担保を預けてお金を借りていた庶民金融の形が、無担保の信用貸しへと変わってきたのがこの頃です。

当時の利用限度額

「一口2万円」が相場の小口融資でしたが、当時の大卒初任給の相場が2万円~3万円ですので、決して少ない額ではありませんでした。

サラリーマン金融へ

一昔前は消費者金融のことを「サラ金」と読んでいましたよね。
サラ金というのは略称のことで、本来の語源は「サラリーマン金融」と言います。

これは1960年代に興った「勤人信用貸し」が、結局はサラリーマンにお金を貸すことが多かったので、サラリーマン金融(略してサラ金)という表現が定着したようです。

消費者金融の元祖

諸説あるようですが「キャッシング教本」という書籍の中で、消費者金融の元祖として、

  • クレジットセンター(東京)
  • 森田商事(神戸)

の2社の名前が挙げられています。
時期は他の文献によると1960年3月です。

アコムがサラリーマン金融の営業を試験的に開始したのが、同じく1960年3月と言われているので、3社はほぼ同じタイミングなのかもしれません。

ちなみに、

  • 62年:武井保雄氏が武富士の前身として富士商事が創業
  • 62年:神内 良一氏がプロミスの前身として関西金融を創業
  • 67年:福田吉孝氏がアイフルを創業

と60年代に続々と、後の消費者金融の雄となる各社が誕生しているのが面白いです。

日本消費者金融協会

1969年に日本消費者金融協会(JCFA)が発足しました。
(2014年に解散)

主な活動内容は、

  • 消費者の保護
  • 多重債務者の救済
  • 消費者金融会社内での不正利用者の共有
  • 月間クレジットエイジの発行

などを行っていました。

1970年代:サラ金批判から社会問題へ

1970年代は高度経済成長期から安定成長期へと切り替わった年代でした。

ただ、第四次中東戦争が原因で石油(オイル)ショックも起こり、世相的には不景気も見え隠れしました。

行き過ぎた高利貸し

現在、大手となっている消費者金融会社も、この頃はまだ街金(マチキン)と呼ばれる程の小さな規模で営業をしていました。

しかも当時の街金は「高利貸し」とも呼ばれていた通り、出資法の金利(もしくはそれ以上のヤミ金レベル)で貸付けを行っていたのです。

社会問題へ

この頃は、まさに地獄のような取り立てが行われていました。

例えば、

  • 夜遅くに家に押しかける
  • 家具や家電を勝手に持ち帰る
  • 玄関に「カネ返せ」などのビラを貼る
  • 職場にまで取り立てに現れる

など、今現在では貸金業法21条で違法とされていることが平然と行われていました。

しかし1970年代の中盤に入り、ようやくと毎日新聞社が「サラ金をつく」などの連載によってサラ金批判を起こし始めます。

次第に「サラ金の借金取り立て」が社会問題として認知されていき、政府や大蔵省、法務省、警察庁などの各省庁が実態調査を行うことにつながっていきます。

個人信用情報機関が設立

今では、

  • 日本信用情報機構(JICC):消費者金融
  • 全国銀行個人信用情報センター(全国銀行協会、JBA):銀行系
  • シー・アイ・シー(CIC):クレジットカード

などそれぞれの用途ごとに個人信用情報機関が運営されています。

その元祖が続々と登場したのが1970年代でした。

  • 72年:レンダースエクスチェンジ(LE)
  • 73年:個人信用情報センター
  • 76年:全国信用情報交換所連絡協議会※現在の全国信用情報センター連合会(全情連)
  • 78年:セントラルコミュニケーションビューロー(CCB)
  • 80年:全国信用情報交換所連絡協議会が全国信用情報センター連合会に名前を変更

70年代のその他のイベント

  • 75年:全日本消費者金融協会(ACFA)が設立
  • 78年:全国サラ金問題対策協議会が発足
  • 79年:アコムが銀座に日本初となる24時間稼働のATMを設置

1980年代:消費者金融業界に冬の時代が到来

1979年に議員立法によって貸金業法案が国会に挙げられました。

その後、1980年には大蔵省が全国金融業連合会に対して行政指導を行い、銀行に対しても貸金業者に資金を融資することを自粛するように要請しました。

これは貸金業者としては、資金調達の手段を絶たれ、首根っこを締められたことを意味します。
つまり、個人顧客へ貸し出すお金が手元に無くなってしまったのです。

この流れによって、

  • 国内の小さな消費者金融会社は廃業、他社に吸収合併される
  • 外資系は日本から相次いで撤退

という動きが加速していきました。

法律によって上限金利の引き下げ

1982年には「全国サラ金被害者連絡協議」が作られ、いよいよ社会問題として深刻化すると、ついに83年には、

  • 貸金業規制法(貸金業の規制等に関する法律)
  • 改正出資法

が成立・施行されて「上限金利が109.5%から73.0%/年」に引き下げられてしまいました。

この影響によって、当時の消費者金融業界に本格的に「冬の時代」が訪れ、実際に貸金業登録者数が前年の7分の1にまで激減したと言われています。

ですが、その後、

  • 全国貸金業協会連合会
  • 三情報機関連絡協議会
  • 貸金業協会

などの団体が設立されて、業界でも健全化に努める自助努力が始まりました。

さらに、大蔵省も規制の手を緩める動きを見せ、健全な貸金業者に対しては「銀行などの金融機関は積極的に融資するように」との要請を出し始めました。

このことにより、貸金業者の倒産は一応下げ止まったと言われています。

出資法の改正が続く

ですが、その後も出資法の改正は繰り返し行われ、上限金利は、

  • 83年:109.5%⇒73.0%に引き下げられたのに続いて、
  • 87年:73.0%⇒54.75%
  • 91年:54.75%⇒40.004%
  • 99年:40.004%⇒29.2%
  • 10年:29.2%⇒20.0%

と推移していき、ますます小さな消費者金融会社では利益を出せなくなり、必然的に大手だけが生き残る形となりました。

80年代のその他のイベント

  • 83年:プロミスが与信システムの自動化に成功
  • 85年:シー・アイ・シー(CIC)設立
  • 87年:信用情報交流ネットワークのCRIN(Credit Information Network)開始

1990年代:大手消費者金融各社が一部上場

70~80年代にサラ金批判、上限金利の引き下げという冬の時代を迎えた消費者金融業界でしたが、90年代になると生き残った大手が東証一部に上場する程に活況を帯びてきます。

【消費者金融各社が一部上場した年】

  • 1996年:アコム、プロミス、三洋信販
  • 1998年:武富士
  • 2000年:アイフル

これは1991年~93年に起こった日本のバブル崩壊によって、消費者金融の利用者が増えたことが要因であると言われています。

テレビCMによって世間の認知度がアップ

アコムが上場する少し前の94年頃から、あの有名な「むじんくん」のテレビCMが開始しました。

コマーシャルによって消費者金融のイメージが良くなったことも、バブル崩壊後に利用者が急増した理由の一つとも言われています。

90年代のその他のイベント

  • 96年:金融ビッグバン(橋本龍太郎が掃除大臣だった時に行われた規制緩和を進める金融制度改革)
  • 97年:消費者金融連絡会が設立
  • 98年:GEキャピタルがレイクの営業開始
  • 99年:商工ローン問題が社会問題化

2000年代:前半調子良く、後半は落ち込む

2000年代前半にはアイフルのチワワ、アコムの小野真弓さんのテレビCMが爆発的な人気となり、消費者金融業界全体の調子も上向きで推移していきます。

その証拠に、銀行も絡めて新たな消費者金融会社が続々と設立されていきました。

  • 00年:モビット(プロミス、三和銀行、アプラスとの合弁)
  • 00年:アットローン(さくら銀行・日本生命保険・三洋信販とエーエムピーエムジャパン)
  • 01年:東京三菱キャッシュワン(アコム、東京三菱銀行、三菱信託銀行、DCカード、ジャックスとの共同出資)

結果論ですが、この頃に銀行と消費者金融業界が接触したことにより、2006年以降の不況時に素早く銀行の傘下に入ることができたとも言えるでしょう。

弁護士広告が解禁!

それまでは弁護士業の広告関連規定によって、弁護士さんが広告を出すことが禁じられていました。

ですが、ちょうど2000年に規制緩和が行われて広告自由化となりました。

これによって、弁護士事務所も、

  • テレビCM
  • インターネット
  • 本や雑誌
  • 電車やバスの車内

に広告を掲載できるようになったのです。

改正貸金業法が段階的に施行される

この広告解禁の影響は、2006年に貸金業法の改正が国会で成立し、最高裁でグレーゾーン金利の違法性が認められた以降に大きく表れます。

これまで払いすぎていた利息を取り戻す過払い金返還請求が急増し始めるからです。

05年には強引な取り立てでアイフルが社会問題を起こし、「アイフル被害者の会」などが結成された流れもマイナスに動きました。

過払い金返還請求訴訟によって、多くの弁護士・司法書士が経済的に潤うことになりましたが、一方で消費者金融業界は、

  • 利用者の減少
  • 過払い金の利息返還請求

によって、大不況に陥ることになったのです。

独立系は倒産、大手は銀行の傘下に入る生き残り策

改正貸金業法の影響は大きく、市場が縮小するだけに留まりません。

  • 09年:クレディアが民事再生手続きの開始
  • 09年:GEがレイクを新生銀行に売却
  • 09年:アイフルが事業再生ADRの手続きを申請
  • 10年:武富士が会社更生法を申請

というように独立系では大手の武富士も生き残ることはできませんでした。

そして、アコム、プロミス、モビットなどは銀行のグループ会社となり、経営の建て直しを図っていくことになるのです。

その後の流れは「銀行カードローン・消費者金融の業界地図」へとつながっていきます。

編集部まとめ

金は天下の回り物だけあって、随分と昔の時代から高利貸しの金融業者が存在していたことは驚きでしたね。

学校での歴史の授業が苦手な方も、お金に関する歴史となると興味がある方も多いのではないかと思います。

編集部としても、調べていて大変参考になりました!

参考文献

理解されないビジネスモデル消費者金融